岩井俊二監督最新作「ラストレター」をみてきたので、その感想。ネタバレあり。
※わたしは岩井俊二監督の作品について特段詳しいというわけでもなく、また今回の「ラストレター」に関する監督や出演者、スタッフの方々のコメント等をくまなく参照しているわけでもありません。そのため、以下の文章にはそれが原因で何らかの事実誤認等が含まれる可能性が大いにあります。また、この文章は、本作のあらすじを紹介するという趣旨のものではありません。
とりあえずの感想
めっちゃよかった。久しぶりに、いい邦画を見たなって感じ。これをふまえ、よかったところ、疑問点、その考察など、以下何点か。
鏡史郎と美咲が大学時代に付き合ってたという設定
この設定がとてもよかった。これがあるのとないのとでは、いろいろ違ってくる。これがあることで、鏡史郎がただのむっつり陰キャってだけじゃなくなった。つまり、一方的にずっと片思いしてた人の話じゃなくて、少なくとも一回は両思いになった人たちの話ってことで、より深い哀しみみたいなものが生まれた気がする。
今作では大学時代に何があったかがほとんど語られないし、一切描かれないんだけど、回想パートの終盤の鏡史郎と美咲のシーンから、この二人が後々付き合うことになるんだな見たいな感じが感じれなくもない(卒業式のスピーチの原稿の手直しをしてあげるところとか、どっか教室に行ってやるんじゃなくて、そのまま階段でやっちゃうところがなんかいいなと思ったし、それを読む練習を、すでに席とかもスタンバイされてる体育館で二人でやってるのも、お前らそこ入っていいんか見たいな感じが、とてもよかった)。
誰が主人公なのか
この点もみていていいなと思ったところ。本作は、誰が主人公なのかが決めにくい構造になっている。正確に言えば、主人公を一人に決めることが、あまり出来ない。クレジット的には、一番最初の松たか子、つまり裕里が主人公ともとれるし、一番最後の神木隆之介・福山雅治、つまり鏡史郎が主人公ともとれる。
けれど、本編の映像の最初のカットと最後のカットで広瀬すずが主に映し出されることからもわかる通り、広瀬すず演じる美咲とその娘の鮎美の親子が主人公ともとることが出来る(のちに言及するように、映画のタイトルになっている“ラストレター”は、この親子が大きく関係してくる)。
この、主人公が誰か一人に定まらない感じが、物語に重層性をより出していたと思う。そういえば松たか子いたわ、そういえば神木君も出てたわ、みたいな感じ。
“ラストレター”とは、結局何だったのか
これが本作を見たうえで、真っ先に考えたこと。結局タイトルにもなっている“ラストレター”って、なんのことだったのか。これについて、整理してみよう。
まず、本作には多くの“手紙”が登場する。特に、物語の前半から中盤にかけては、それが結構複雑になる。思い出せる限り、思い出してみた。抜けてたら、すみません。それが↓。
左が送り主で、右が受け取り主。物語の構成上、正確には手紙ではなくても、ある意味で手紙ともとれるものも載せています。①~③が高校パート、④が高校卒業後から現在までのどこか、⑤~⑫が現在パート。
それぞれ重要だけど、特に重要なのは、①、④、③、⑫。
①鏡史郎→美咲…ラブレター
まず、①。高校時代の鏡史郎が裕里伝いに美咲に送っていた(つもり)の手紙たち。めっちゃたくさん送ってる。裕里が美咲に渡してなかったが、途中でばれて、たぶんそのタイミングで渡してるっぽい。美咲が亡くなった後、鮎美によって、それが美咲にとっての宝物であったことが明かされる。つまり、一時期鏡史郎と付き合っていた美咲は、鏡史郎と別れた後も、彼からもらった手紙を捨てずにとっておいて、たまに読み返したりしていたらしい。さらに、その娘の鮎美も、それを読んでいたことが判明。つまり、①は正確には、鏡史郎→美咲⇒鮎美みたいな構造。
④鏡史郎→美咲…『美咲』という本
次が、④。これは手紙ではないけど、鏡史郎が美咲に“贈った”もの。彼女に向けて“贈った”本で、実際に彼女に送っていて、美咲の実家の本棚に入っていた。たぶんこれが出版されたのは鏡史郎と別れてから。
鮎美によれば、美咲はこれを何回も読んでいたらしい。そのほかにも、阿藤も読了したのかは定かではないが、それなりに読んだことがあるっぽいし(そもそも鏡史郎と20年ぶりくらいに合うのに、鏡史郎が本を一冊しか出してない小説家ってことを阿藤は知っていた。たまにチェックでもしてたのか?)、阿藤の今の彼女(中山美穂)もこれから読むかもしれない感じの描写あり。裕里にも手渡していたので、おそらく読む。さらに、実は鮎美もすでに何回も読んでいて(出だしのところを暗唱できるくらいには)、それに触発されてか、颯香も読み始めている描写がある。
つまり、そもそもは美咲に“贈った”はずの『美咲』という本が、劇中で、鏡史郎の意図しないところも含めて、いろんな人に“届く”ものになった。そして、意外と重要かもしれないのが、今あげた阿藤を除く全員が、鏡史郎にそれぞれが持つ『美咲』にサインをお願いして書いてもらっていたこと。
③、⑫美咲→鏡史郎→美咲→鮎美…卒業式のスピーチ原稿
最後に、③、⑫。これは卒業式のスピーチ原稿。そもそもは美咲が鏡史郎に添削をもとめて原案を渡して、鏡史郎がそれに加筆修正を加え、おそらくそのバージョンを卒業式で美咲が読み上げる。それで終わりかと思いきや、実は、物語の序盤から登場していた、美咲から鮎美へ送られた遺書(鮎美はずっとこれを開けることが出来ていなかった)の中身が、このスピーチ原稿だったことが終盤で判明。つまり、美咲→鏡史郎→美咲→鮎美みたいな構造。
ラストレターとは、スピーチ原稿?『美咲』?
これをふまえて、結局“ラストレター”、つまり“最後の手紙”とは何だったのか。
順当に考えれば、美咲から鮎美へと贈られた⑫が、美咲から鮎美への“ラストレター”であるといえる。これはレターというより、スピーチ原稿だが、これには前述のように鏡史郎もかかわっていることや、これを遺書という“手紙”として美咲は鮎美に託したことを考えれば、これを“ラストレター”とするのが、自然であるように思う。もしそうだとすると、先にふれたように、誰が主人公なのかということについて考えた時に、“ラストレター”=スピーチ原稿がタイトルに採用されていることから、美咲・鮎美親子が主人公と捉えることも出来るように思われる。
しかし、すこし違った角度からみると、④の『美咲』が、美咲本人に届いた最後の鏡史郎からの手紙だととることも出来るだろう。しかも、先にふれたように、鏡史郎は劇中でいくつかの『美咲』にサインをしている。これは、手紙の最後に自分の名前を添えることを想起させるし(つまり『美咲』の最後に自分のサインをすることで、『美咲』が手紙になる)、そもそも“ラストレター”のレターを、手紙ではなく“文字”と捉えるならば、最後の文字ということで、これは鏡史郎のサイン自体を想起させる(後者の見方は強引かもしれない)。
“最後の手紙”ではない…?
では、ラストレターとは、スピーチ原稿、もしくは『美咲』ということで、めでたしめでたし、と行くだろうか。なんか少し違う気がする。つまり、そもそもこの映画が伝えたいのは、もっと他にあるような気がするからだ。
先ほど、”letter”を手紙ではなく、“文字”と翻訳した。それでいくと、実は“last”の方も、最後の、ではなく、“最新の”とも訳せる単語である。つまりこれは、むしろ“最新の手紙”について描かれた作品なのではないだろうか。どういうことだろう。
たとえば、『美咲』は美咲本人が読んだ鏡史郎からの最後の“手紙”だったかもしれない。しかし、鏡史郎にとっては、少なくともある一時期までは、裕里や鮎美・颯香から届く手紙を美咲からのものと思って文通していて、それは彼にとっては、学生時代に送り続けた手紙や、自身の最初の小説としての『美咲』の延長線上にある、美咲に対する“最新の手紙”だったはずである。
また、彼の実際の文通相手だった裕里は、美咲のふりをして手紙を書いていたことで、「まだ美咲が生きているような気がする。いなくなった人も、そうやってこの世に生き続けさせることが出来る」的な感想をもったことを鏡史郎に明かすシーンがある。そもそも、裕里にとっては、学生時代に鏡史郎に渡した短い一通のラブレター(先のまとめだと②)が彼への“最後の手紙”であり“最新の手紙”だったわけだけど、大人になり美咲のふりをしているとはいえ鏡史郎と文通をすることで、彼女にとってはそれらが“最新の手紙”になった。
『美咲』についていえば、鮎美と阿藤はすでに読んでいたっぽいが、その他の人物は、劇中で、もしくはその後の人生で、鏡史郎のサインが入った、つまり“手紙”として成立した『美咲』を読むことになる。彼女たちにとっては、『美咲』は“最新の手紙”といえるかもしれない。
さらに、劇中では示唆されるだけにとどまったが、いままで『美咲』一冊しか書けなかった鏡史郎が、今後もしかすると、しっかりとした本を執筆することがあるかもしれない。それが美咲との思い出と絡むものなのかはわからないが、いずれにせよそれだって、天国の美咲に対する“最新の手紙”になり得る。
つまり、本作は、最後の手紙だけでなく、むしろ“何が最新の手紙だったのか”という視点で見るべきではないか。そしてそこから浮かび上がるのは、次のようなメッセージではないだろうか。つまり、他人のふりをして書いていようが、もしくはこの世にいない人に向けて書いていようが、わたしたちはいつでも“最新の手紙”を書くことで、何かを前に進めたり、もしくはいなくなった人のことを思い出したり、その人をどこかに留めておいておけるんだ、ということ。
しかし、正直そんなに深く考える問題でもないのかもしれない。この作品が、“最後の手紙”だけでなく、むしろ“最新の手紙”についての話だったのではないかという見方は、物事を裏から見ているだけで、見ているもの自体は一緒だからだ。
「ラストレター」のレビュー/考察は、これでひとまず終わりです。めっちゃいい映画でした。気が向いたら、コバタケが作曲、岩井俊二が作詞、森七菜が歌唱をした主題歌などについての文章も、いつかあげるかもしれません。読んでいただき、ありがとうございました。
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