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「麒麟がくる」第1話 感想:駒はシマちゃんになるのか?

麒麟がくる 1話

今年2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」、第1話の感想/レビュー/考察です。ネタバレしています。

※これはあらすじなどを書いた文章ではありません。また、筆者は大河ドラマをそれなりにコンスタントに見ている方ですが、しかし、熱烈な大河ファンというわけでもありません。今回の脚本を担当されている池端俊作さんの作品を見るのも、これがおそらく初めてです。また、日本史にもそれなりに疎く、特に今回の舞台である室町時代後半から戦国時代については、ほとんど知識がありません。それらが原因で、以下の文章には、何らかの事実誤認、もしくは的外れな部分が入り込む可能性があります。さらに、内容の構造上、昨年の大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺~」(以下「いだてん」と省略)との比較を行う部分があるため、「いだてん」のネタバレががっつり入り込んでいます。合わせて、ご了承ください。

とりあえずの感想

うわあ、“大河っぽいなあ”というのが一番の感想。しかし、昔ながっらぽいところと、新しいっぽさを感じるところの、両方あり。以下、いくつかの感想。

こだわりの”カメラワーク”

序盤の光秀たちと野党との戦闘シーンでは、とりあえずカメラワークが新しさを感じさせるものになっていた。特に、野党自身の目線で弓に打たれる(つまり弓が画面の向こうから飛んでくる)とか、光秀自身の目線で家屋を超えていくとか、見ていて楽しかった。大河にそういった新しいカメラワークを積極的に取り入れていこうみたいな雰囲気を感じる。おそらく今後もちょっと斬新なカメラワークが入り込んでくるのかなという感じ。

子役からスタートではない

今回の「麒麟がくる」は、子役からスタートせず、いきなり長谷川博己が出てくる。最近の大河だと、去年の「いだてん」(2019年)、おととしの「西郷どん」(2018年)では、主人公たちの幼少期の役者が登場。その前の「おんな城主 直虎」(2017年)にいたっては、子役時代の話だけで最初の4話くらいを進めていたように記憶している。

さらにその前の「真田丸」(2016年)では、一話からいきなり堺雅人(主人公の真田信繁役)が出てきたので、「麒麟がくる」は「真田丸」以来4年ぶりとなる子役なしの大河ドラマということになる。

今回出てきた光秀が実際に何歳なのかよくわからなかったが(そもそも現在の年齢感とはいろいろと違うんだろうけど)、おそらくそれなりには若いはず。長谷川博己も斉藤道三役のもっくんとかと比べると、そんなに貫禄がある感じでもないので、若いころを演じているのは、ナチュラルに見ることが出来た。ただ、すこし思ったのは、やっぱりセリフのいい方とか声自体が、それなりに大人だから、途中で「シン・ゴジラ」みてるみたいに感じるところもあった(長谷川博己は「シン・ゴジラ」で主役の矢口蘭堂を演じている)。

あふれでる“昔っぽさ”

新しさを感じるカメラワークと相反するように、全体的には“昔っぽいな”という雰囲気が溢れ出ている。まずそれが表れていたのが、オープニングの映像。最近の大河では見ないようなフォントで役者が紹介され、その裏で流れるオープニングテーマも、「いだてん」の時のように口ずさめる系のでもない(繰り返し見ていれば、口ずさめるようになるかも?)。その背景で流れる映像も、基本的に暗めの絵が多い。

そしてなにより、登場人物たちの配置・構造が、いかにも大河ドラマっぽい。大河ドラマの序盤といえば、幼年・青年期の主人公が、今後の人生で生きていくための指針となるような何らかのセリフを、序盤だけに登場する架空のキャラクター、もしくは、主人公の地元の大物に言われる、みたいな展開があるイメージ(これはただのイメージで、ほかの大河に実際に当てはめることは出来ないかもしれない)。今回であれば、光秀が京都で出会った“駒”という孤児と、光秀の地元・美濃の親分である斉藤道三が、それぞれそれに当てはまるのだと思う。特に今回は、“駒”がフューチャーされていた。

今後“駒”は、どうなっていくのか

これが今回の第1話をみて、一番気になったこと。門脇麦演じる駒は、タイトルにもなっている「麒麟」の話を光秀にするという重要ポジション。そもそも駒が史実に残っている人なのかどうかよくわからないが、おそらくオリジナルキャラクターなのではないかと思われる。

1話の最後では、光秀が駒と望月東庵(堺正章)を連れて美濃に帰ってくるシーンも一瞬描かれていたし、彼らは次回予告にも登場していたため、おそらく今後も駒は出てくると思われる。しかし、今後駒がどのような立ち位置のキャラクターになるのだろうか。

このことを考えていて思い出すのは、昨年の「いだてん」に登場した、“シマちゃん”(杉咲花)である。シマちゃんは、三島家につかえる女中として登場し、四三に「走るのって楽しいですか?」的なことを問いかけるシーンもある(つまり、金栗四三自身に「なぜ自分は走るのか」という問いを意識させる役割)。

見ている側としては、シマちゃんは、ドラマの前半(金栗四三パート)、なかでも三島弥彦が主に出演するストックホルム大会くらいまでで退場していくキャラクターなのかなと思っていた。しかし、四三が播磨屋の二階に引っ越してきたときに、その向かいの家にシマちゃんが住んでいることが発覚するらへんから、あれ、結構出てくるんだな、という感じになり、気づけば、物語の裏軸ともいうべき“女子とスポーツ”という流れの一番最初に位置するキャラクターになる。しかも、なんと第一話から登場している謎の青年・五りん(神木隆之介)の祖母であることも、物語の途中で判明。視聴者は、人見絹江や前畑秀子、東洋の魔女が活躍するシーンを見て、ことあるごとにシマちゃんを思い出すつくりになっていた。

正直、シマちゃんをとりまく一連の話の流れは、クドカンにしか出来ないような芸当かもしれないので、あれと同じようなことを「麒麟がくる」に期待するのは、いろいろ違う気がするが、それでも、駒というキャラクターが今後どのようになるのかは、気になるところ。物語の構造上のシマちゃんみたいなキャラクターになってほしい、というわけではないが、せっかく登場して、「麒麟」のはなしを光秀にしたキャラクターなんだから、今後も何かしらにかかわるキャラクターになればいいなという期待

その他、もろもろの感想(箇条書き)

・吉田鋼太郎が松永久秀は、めっちゃイメージ通り。でも、京都での光秀とのくだりは、ちょっとよくわからなかった。お金が欲しかったんじゃないの? 余ったお金は自分の懐に入れたのか?

・衣装が派手問題はヤフーニュースとかになっていたけど、自分は見ているときは全く気にならなかった。

・川口春奈は一瞬すぎたけど、よさげ。

・ナレーションの海老蔵の登場が、結構中盤からだった(気がする)。ナレーションは、個人的に去年の森山未來が良すぎたから、少しの間は慣れないかもしれない。「西郷どん」、「いだてん」とナレーションの人が、実際の役を演じる構造になっていたが、海老蔵はどうなんだろう。ナレーションに徹するのか、秋くらいから登場するキャラクターとして実は登場するのか。

・ところどころ何を言っているのか(“意味が分からない”というわけじゃなく、声が聞き取れないという意味)があった。たぶんテレビの音量のせい。でも、これもなんか大河っぽいなって感じた。

・「麒麟がくる」だけの話ではないのだけど、去年の「いだてん」、今年の「麒麟がくる」、来年の「青天を衝け」(渋沢栄一)、最近発表された三谷幸喜脚本(!!)の再来年の「鎌倉殿の13人」(北条義時)と、少なくともここ4年間は、タイトルに主人公の名前が全く入らないんだなっていう気づき。

第2話に、つづきます。

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