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「麒麟がくる」第2話 感想:大河ドラマにおける“ちょけ方”についての考察

麒麟がくる 2話

今年2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」、第2話の感想/レビュー/考察です。ネタバレしています。

安定の“カメラワーク”

前回の1話で注目したカメラワークだが、今回もいくつかこだわったものがあったように見受けられた。今回の2話では、いろいろなものを下から移すシーンが記憶に残る。あと、門をこじ開けるための丸太目線の映像はよかった。

また、泥水が登場するシーンで、カメラに泥水がかかる演出(カメラワーク)があった。これは、「麒麟がくる」に限らず、ほんとにいろんな作品にたびたび登場する手法。

私だけだと思うが、これを見るたびに、なんか急にメタ的になるっていうか、泥水で映像が汚れるってことは「そこにカメラがある」っていうのを意識せざるを得なくなるから、逆にそれまでの没入感が削がれてしまうことがある。今回の2話ではそんなに多用されなかったからあれだけど、今後めっちゃ出てくるなら、ちょっとあれかなと思ってしまった。

裏切り?双子?、、、、、いや、ただ似てるだけかい!

今回びっくり、かつ少し肩透かしだったのが、光秀が、戦いのさなか、叔父である光安(西村まさ彦)に似ている人に遭遇するという一件。

私は光秀やその一族、ひいてはこの時代に全く詳しくないので、そういう意味ではいろんなネタバレを知らないで見てるわけだけど、このシーンに関しては、え?光安裏切ってんの?っていうのが最初の感想。

それで光秀がちょっと葛藤した後、その光安の首を取ったっぽい描写がなされるので、「うわあ西村まさ彦もう退場なのかよ!」というのが次の感想。

その後、光秀が城に帰ると、そこには負傷した光安が座っている。つまり光安は無事で、「やっぱ裏切ってんのかよみつやすー」と思っていたら、そのあとのシーンで光秀が、さっき光安に似ている人に遭遇したんだという話を望月東庵に告白。つまり、さきほどで出会った光安は、実は光安似の人と判明。

え?まじ?じゃあなに、双子とかそういう設定なのか?

しかし、その後の光秀のセリフで、これがなんと、ただ単に光秀に似ている全く関係のない人だったことが判明

親戚に顔が似ている人に出くわし、一瞬判断が遅れた→「戦う」というのものについての疑念→しかし勝つしかないのだ、みたいなそういう流れに。

今思い返せば、それはそれで確かにいいというか、主人公が戦うということに対して何らかの疑念を持つエピソードとして成立してると思うけど、見ているときは、正直興奮が若干削がれたのは確か。欲を言えば、この「顔が似ている人を前に一瞬判断が鈍る」っていうエピソードが、のちの何らかのエピソードの伏線として機能するなら、すごいよかったなと思ったりする

信秀が、かわいい

今回の2話では道三vs信秀(高橋克典、信長のパパ)の戦いが主に描かれ、兵の数では圧倒的不利だった道三側が信秀に勝利するという構成。

信秀は前回の終盤にちらっと映り、今回も途中までセリフがなく、いつ喋るんだろうこの人、と思っていたが、しゃべりはじめると、案外かわいい。「城に帰って、寝よう」みたいなこと言うシーンとか、全体的にちょっと抜けてるというか、少し癒し系が入ってるおじさんみたいな人物像で描かれていて、それがよかった。今後もその路線で行くのかはわからないが、個人的にはその路線で行ってほしい。

ちょけるところの恥ずかしさ

これは1話のときからあって、たぶんこれからもあるんだろうけど、この「麒麟がくる」は、基本的に割とまじめ系のドラマなんだけど、ところどころでちょけるシーンが出てくる。ちょけるというか、なんかちょっとふざけてるというか、登場人物的にはふざけてないんだけど、視聴者的にはふざけてるようにみえる、みたいな。

今回であれば、光秀が常に「侍大将!」とか言いながら走り回ってるとか、前述の信秀の「城に帰って、寝よう」的なセリフとか。あとは、むしろ今回のタイトルにもなってる、数々の知略を尽くしていく道三のその顔芸とか。

ただ、そのそれぞれのちょけてるシーンが、見ていて若干恥ずかしくなってしまったのは事実。これは何が原因かはわからない。多分一番大きいのは、まだ登場人物それぞれに愛着がそんなになく、かつ感情移入が出来るほどでもないから。

個人的には、ちょけるシーンがたくさん入ってる大河は好きで、最近だと「真田丸」とか「いだてん」とかがそうだったように思えるけど、三谷幸喜にせよクドカンにせよ、ほんとそういうシーンを描くのがうまいなって、「麒麟がくる」をみて改めて思う。これはほんとに「麒麟がくる」の脚本や演出が下手とかそういうことでは決してなくて、単純に自分の好みなんだけど、「麒麟がくる」のちょけるシーンは、“やっちゃってる感”が大きいというか、“大河ドラマだけどこういうシーンもところどころで入れちゃいますよ”みたいな感じが強いというか…。

すこし突っ込んで考えて見れば、「真田丸」や「いだてん」は、登場人物的にはちょけてるきがないんだけど、状況的にちょけて見えちゃう、っていう構造がより際立つように作られてたり、一方からみるとちょけてるんだけど、他方から見ると実は全然ちょけてないようにも見える、とか、ちょけてるところとそうじゃないのところの対比がすごくしっかりとしてるから、よりちょけてるところが豊かに際立つ感じがある、とかそういう感じだったように思う。それに比べると、「麒麟がくる」は、より単純なちょけ方というか、ちょけて終わり、みたいな感じが否めない。

たとえば、先にふれてきた信秀だが、今後も今回見せてくれたような一面を見せてくれるのであれば、今後につながるちょけ方だからいいんだけど、あれが今回限りのちょけ方だったとすれば、それは今回の第2話の構成上、誰かがちょけなきゃいけないからそれを信秀が担っただけ、みたいになってしまうので、もしそうなるのならそれはちょっと単純かなと思う。

まあ先のことはわからないし、今回の第2話も見ていてとても楽しかったのは事実。

そのほかの諸々の感想

・タイトルにもなっている「道三の罠」が、ちょっとどれも古典的過ぎる。いや、これは歴史を描いたものなのだから、その通りに描けば、それが起きたのは相当昔のことなのだし、文字通り“古典的”にみえるのが当たり前で、それは現代を生きる私たちがそう見るから“古典的”になってしまうだけだけど。しかし、なんかもうちょっと演出での魅せ方のようなものがあったように思う。今回はそれをもっくんの顔芸で表現したんだのだと思うけど、ほかにも手はあったのでは。しかし、もっくんはめっちゃかっこよかったし、魅力的だった。はまり役かもしれない。

・前回の1話の感想で言及した駒だけど、今回はほんと一瞬の登場。予告を見る限り来週も出るっぽい。今後どうなるのかは引き続き楽しみ。

・前半のシーン、特に道三チームが数でなく知恵で工夫してくみたいなのは、みていて「真田丸」を思い出す。

第3話につづきます。

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