2020年大河ドラマ「麒麟がくる」。このオープニング映像は、前作「いだてん」とは打って変わり、いかにも“大河感”がある重厚なオープニングになっています。
この記事では、このオープニングの背景で流れる映像が、いったい何を表しているのか、を考えて見たいと思います。
結論から言えば、基本的には“本能寺の変”や“麒麟”にまつわる描写がされていると考えられ、しかし、1カットだけ意味不明なカットが挿入されています。
何も表していない?
まず、一つの前提として、実はこのオープニング映像は「特に何も表していない」という説が一番濃厚です。
というのも、「麒麟がくる」のチーフプロデューサーによれば、このオープニング映像は「字ありき」で作成されたものらしいのです(詳しくは、↓の記事を参照)。
しかし、このオープニング映像には、何やら意味ありげなカットや、まったく意味不明なカットが挿入されていて、実は何かを表しているように思えてなりません。そこで、今回は、この映像が何かを表しているのだとしたら、という前提で考察を進めていきます。
隠れ麒麟について
また、先に貼ったリンクの記事でも言われているように、このオープニング映像では“隠れ麒麟”も登場していることが、すでに知られています。それについても、以下のカットごとの説明の際に説明します。
それぞれのカットについて
では、さっそく、このオープニング映像に登場するそれぞれのカットについて、整理してみましょう。
おそらく実際のオープニング映像を見ながらの方が、よりわかり易いかもしれません。番組を録画している方は、それを再生しながら、もしくは公式ホームページにて、このオープニング映像が公開されていますので、もう一つウィンドウを立ち上げて、再生しながら見てみてください。
この映像は、全14カットで構成されています。映像の時系列に沿って、みていきましょう。
①光秀(長谷川博己)が目を閉じている→開ける
「麒麟がくる」の題字が登場。火の粉が飛んでいる。色味は赤。
②炎の中を馬が武士を乗せ、左から右に駆けていく
一番尺が長いカット。馬に乗っているのは光秀?一番スロー。色味は赤。
③戦う武士たちの足元
色味は赤。カメラは左から右。
④戦う武士たちの全身
色味は赤。カメラは左から右
⑤森の中。枯れた木(草?)の前に武士(光秀?)が立っている
シーンが転換して森の中に。手前には川?が流れている。 色味は緑。 カメラは右から左。
⑥森の木。枝。
また少しシーンが転換する。色味はオレンジと白、茶。カメラは左から右。
⑦森の中にたたずむ武士(光秀?)。奥に麒麟。
武士の奥に、麒麟が登場。”登場”といっても、何かがかすかに動いてるだけ。ただでさえ見にくいのに、字幕の出方によっては、より見にくくなることもあります。色味はオレンジと白、茶。カメラは左から右。
⑧湖の湖畔を移動する武士(光秀)と馬。白と黒、オレンジ。右から左。
シーンが変わり、夕暮れの湖畔。色味はオレンジ、白と黒。カメラは右から左。
⑨光秀が目を閉じている→開けて前を見る。
夕日に照らされた光秀自身が映る。一瞬ピントがぼやける。 色味はオレンジ、白と黒 。カメラは下から上。
⑩木々を下から望む。
シーンが変わり、再び森へ。色味は、白、オレンジ、茶。カメラは半時計まわり。
⑪家屋の中で、農民たち?が真顔でこちらを見てくる。
シーンが変わり、謎のシーンへ。真顔の農民たち。みんな野菜をもってる。カメラは右から左。
⑫桔梗の旗を掲げた武士たちの列。
シーンが変わる。右奥で、松明が燃えている。カメラは右から左。
⑬炎をバックに光秀(?)が口を大きく開けている。
ふたたび冒頭の戦いのシーンに。光秀がアップ。カメラは固定。
⑭炎の中を馬が武士を乗せ、かけていく。左から右。
最後のシーン。②のカットの続き? カメラは左から右。
それぞれのカットのグループ
上で整理したカットたちは、出てくるものや色合いから、いくつかのグループに分けることが出来ます。
①②③④⑬⑭ 炎の中での戦い
⑤ 森の中(緑)
⑥⑦ 森の中(白)。麒麟との出会い。
⑧⑨ 湖畔
⑩ 森の中。⑥⑦と同じグループか?
⑪ 謎のカット
⑫ 戦闘への出陣
本能寺の変?
このオープニング映像は、基本的には“本能寺の変”前後の描写が描かれているのではないか、と私は考えています。
そう考えると、①②③④⑬⑭炎の中での戦いは、本能寺の変のさなかの映像。⑫は本能寺への進行(空の明るさ的に、時間的に少し違うのか?)と捉えることが出来ます。
⑧⑨の湖畔のシーンは、光秀が“何かを考え、決意する”ような演出・表情が見て取れるので、本能寺の変の前、もしくは後の光秀の様子にも見えます。
タイトル映像が最後に来る回
大河ドラマでは、主に最終回付近の回で、オープニング映像が物語の最後に流れる、という演出が例年されています。
たとえば、「真田丸」では、その回のラストシーンで、幸村が真田丸を名付ける(「何て名前にしましょう?」、「もちろん、真田丸よ!」みたいなことをいう)→その流れでタイトルバックで「真田丸」と出てくる、みたいな演出がありました。「麒麟がくる」の場合も、どこかの回でこの演出がされる可能性があります。
もしオープニング映像が本能寺の変を表しているなら、本能寺の変を描く回の時に、このオープニング映像が流れる→実は今まで見てきたオープニング映像が本能寺の変だったんだ!って視聴者が分かる、みたいな展開だと、胸アツです。
森の中の描写は、神秘性の表現?
⑤⑥⑦⑩に関しては、森、そして麒麟も登場することから、何らかの神秘性の表現であり、具体的な何かを表しているというわけではないカットだと思います。
こちらをみつめてくる農民たち
そうなると、⑪のカットだけが、非常に浮いてみえます。
このカットは、室内の中から、色とりどりの衣装を着た人々がこちらをみつめてくる、というだけのカットなのですが、ここまでの流れを考えると、全くの意味不明なカットです。
彼ら/彼女らは野菜などを手に持っていることから、農民なのでは?とも思ったのですが、農民にしては着ている服が鮮やかすぎる気もします。
このカットは、何を表しているのでしょうか。何となく思いつくのは、次の2つです。
ⅰ光秀が農民から慕われていた武将だったことを表している
ⅱ光秀が何らかの理由で匿われているシーン(光秀目線)
ⅰに関しては、抽象的ですが、大河ドラマっぽい演出な気はします。ⅱに関しては、こうであってほしいという私の希望です。
「麒麟がくる」では、いままでいくつかの挑戦的なカメラワークがなされており、この⑪のシーンが、実は光秀の目線だった、というのは、案外ありえるかもしれません。今後そう言ったシーンがどこかで出てきて(たとえば本能寺の変の直後とか)、実はそれがオープニングに紛れ込んでいました、みたいな展開だとアツいなと思います。
最後に:オープニングのバリエーションは?
前作の「いだてん」は、回を追うごとに、ちょこちょこオープニング映像が変化していく、という何とも手の込んだ作りが話題になりました。
今回の「麒麟がくる」は、おそらく最終回まで今のオープニング映像が使われるのだと思いますが、もし途中で別バージョンに変わったりしたら、それはそれで面白いなと思います。
オープニングのほかにも、「麒麟がくる」には多くの謎や伏線があります。それについては、最新話の分も含めて下の記事にまとめてありますので、ご興味ある方は、ぜひ見てみてくださいね。
コメント