「麒麟がくる」第10話「ひとりぼっちの若君」の感想/レビュー/考察です。
駒ちゃんを助けた人=光秀パパ
1話目から引っ張っていた「駒ちゃんを助けた人」が、光秀の父親であることが、今回判明。駒ちゃんはこの事実を光秀に伝えることが出来るのか?
この一連の描写の時に、オープニングで麒麟がちょろっと映るシーン(下記記事参照)で流れる旋律が流れて、なぜか「麒麟がきた!」と思ってしまった。つまり、光秀のパパが何らかの意味で麒麟なのか?
あと、光秀パパは役者を付けずにそのままいくのか、回想シーンで誰かが演じることになるのか。たぶん役者付けずにそのまま行くんだろうけど、ナレーションやってる海老蔵が実は光秀パパでした、みたいな流れだったら、それはそれでアツい。
信長の”目”
染谷将太が信長をやると発表されたときは、えー若いなあとか思っていたけど、実際の映像を見てみると、ほんとはまり役かもしれない。
特に今回の、釣りに行くのが楽しいか?と聞かれた後の、「いや、別に」みたいなのを答える時の目! 信長の表情がいろんな意味で豊かすぎて、これは“尾張のうつけ者”だわって感じ。
しかし、このブログでも何回か言及しているように、信長もまだかなり若いはずなので、「若さゆえの不安定感」の演出なのかもしれない。
が、逆に、「若さゆえの不安定感」をいつまでも持ち続けてしまった人、みたいな感じで、今後信長が成長した後も描かれるような気も少しした。
いずれにせよ、染谷将太の“狂気っぽさをはらんだ信長”がどこまでいくのか、楽しみ。
あと、信長がお母さんとの関係について一種のコンプレックス的なのを抱えているっぽいのは、やはりこの物語が、“子と母”というテーマを持っている証か?
光秀の“振り回され気質”
あと、信長と光秀の関係が、今の時点ですでに、「振り回す人と振り回される人」みたいな構図になってて、あぁやっぱそういう感じだったんだなあと思ったりする。そういう感想が自然に出てくるのは、光秀がそもそも(道三とかに)振り回されてる人っていうのを初回から見てきてるからだと思う。
このドラマでは(史実でもおそらくそうだったんだろうけど)、光秀の“振り回され気質”が最初からそれなりにプッシュされることで、後の信長との関係に説得性を持たせてるのかな?
菊丸の忍者活動
前回、(おそらく)忍者(的な何か)であることが判明した菊丸が、今回初めて、明らかな“忍者活動”を行う。天井の穴から下をのぞくって描写、たまにあるけど、どうやって天井に行ってるんだろう。
その他、諸々の感想
・竹千代が、”家康”感満載。ここに秀吉が入るとどうなるのか、より気になる。竹千代はいつ風間君に代わるのか。それも楽しみ。
・信長のお父さんが信秀じゃないの?みたいな描写があった気がしたけど、実際のところどうなのか。
・伊呂波太夫が初登場。今後、どのように物語に絡んでくるのか。特に、東庵先生と伊呂波太夫の「いろんな人と人脈がある」っていう設定は、どのように生かされるのか。
・光安おじさんって、いつまで登場するんだろう。そういえば、光秀おじさんと顔が似てる人が戦にいたっていうエピソードがかなり昔にあった気がするけど、あれはもう特に今後には生かされない設定なのかな
・最近道三があんまりでなくて、すこし寂しい。
次回につづく!
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